日本農業新聞に四国の農家の人々にカンボジアに同行した記事を書きました。

このエントリーをはてなブックマークに追加

現地での3倍の応募者からどのように選抜し、翌日は採用が決まった農家を訪問して、両親や兄弟らと話し合う様子をフォローしました。そのほかにも来日前の日本語の勉強の仕方なども拝見しました。双方ともに熱心ですね。ただ記事の分量が大きく、ここに掲載できません。2023年1月23日の月曜に乗せた初回の記事のワード版を載せます。写真も略です。
1月3日、2月6日の月曜の、2回目、3回目は日本農業新聞をご覧ください。

記事の元原稿です。
技能実習生選考に向かう農家のカンボジア同行記    早稲田大学名誉教授・堀口健治

1. カンボジア・プノンペン大学内で行われた集団面接
 2022年12月18日に行われた選考は翌年の23年8月に日本へ来る実習生の選抜である。08年設立の受け入れ監理団体ファーマーズ協同組合(近藤隆代表)は香川と徳島の大規模な農家・法人46事業体が構成する事業協同組合だが、年4回募集のうち、今回受け入れる事業体は7、うち二人を希望する所が三つあり、計10人の実習生をこの日に決めることになる。カンボジアの送り出し団体はアグリファーマーズカンボジア(14年設立)で、ファーマーズ協同組合等からも出資を受け、これらの農家・法人のために主として活動している。ファーマーズ協同組合はカンボジア、ラオスを主に技能実習生を受け入れており、さらに登録支援機関として特定技能も受け入れている。
 カンボジア各地から集まった応募者31名は緊張していたが、最初に、簡単な「足し引き」・乗除の計算、次にIQテスト、写真のバーベル持ち上げ、そして豆をピンセットで別の皿に移す作業(左利きがわかる)を時間内でこなした。そしてすぐに集計され、面接に役立てられていた。説明はすべてアグリファーマーズカンボジアだが、農家による面接の質疑も彼らが通訳した。これらの方式は従来からのやり方であり、その後は数人ずつに分かれての面接で、他のものは外で待つ。
 しかし面接用資料の詳細さには驚かされた。学歴・年齢・未婚を含む婚歴・住所・身長体重・今の職業・家族全員の年齢と仕事が載っている。また全員が農家出身であることもわかる。大事なのは応募の事情で、ファーマーズ協同組合に雇われ帰国した者からの推薦が極めて多い。だから日本ではどのような仕事か、所得や生活等の情報を得たうえで応募しており、ブローカーを介しての応募は無い。事前に募集情報が帰国者に伝えられ、彼らの兄弟親戚、友人、村人に伝わる仕組みなのである。
 農家が採用したい実習生の条件はカンボジアに来た代表と4戸の農家に伝えられていて、事情で欠席した三つの事業体のためにも選抜することになる。男2、女8の計10人採用だが、男はいずれも既婚が望ましいとしている。運転免許証保持の希望もある。
応募者は、3年間の技能実習が21名女、7名男、そして1年の女3人(2名はMOUを結んだブレックレーップ大学)で肉牛等の1年職種に対応する。既婚は男が1名のみだが、女は既婚だけでなく離婚者も結構多い。
 年齢分布は、30歳代が女3名のみで、20歳代がほとんどであり、10歳代は数名である。学歴は大卒がわずかで、他は高校、中学、小学に分布する。しかし学歴による差は大きくはなく、数の計算で満点を取るものはいない。またバーベル挙げを見てもそうだが、体全体を使うのには慣れていないようだ。多くが両親の農業を学卒後助けているが、次いで縫製の雇われが男女ともに極めて多く、これに次いで雑多な仕事の雇われである。兄弟姉妹は多く、応募者と同じような仕事に従事しており、また彼らの中には日本、韓国に行っている者、また帰ってきた者が含まれる。夫婦の場合はどちらかがすでに日本にいるものが結構いる。
 面接は午後の時間をかけてじっくり聞き取り、その後、審査した5人が話し合って、夕方までに10名の採用を決めた。その後、彼らの前で、近藤氏が雇用条件、また収入などの計算やそれから差し引かれる税金や保険、家賃、また自ら調理する食費などを想定して、およその期待される手取り額等の説明を、懇切に行った。

2. 翌日の家庭訪問そして面接で合格できなかったものへの対応
 多くはプノンペンの南に展開する地域(北は隣接のタイへの出稼ぎが多い)からの応募なので、採用された者の家庭訪問は昼間の往復で可能だから、きわめて遠隔というほどではない。しかし訪問場所で3グループに分かれ、採用者の両親や兄弟に会うようにしていた。代表の近藤さんは、実習生を受け入れる事業体は面接参加が原則で、特に経営者が向こうの両親に会うのは極めて大事だとしている。今回は年度末なのでどうしても来れなかった事業体が受け入れる農家には、代表が自ら回って挨拶していた(写真)。
訪問した村では、日本から帰国した実習生が親にプレゼントした新築の家があちこちにあるのが特徴だった。
翌日、日本の技能実習からすでに帰国していた7名の男女にプノンペンに集まってもらい話を聞くことができたが、最も多いのは親への家のプレゼントであった。 平均一人3年間で300万円のお金を貯め、半分が家の建築に充てられていた。より大きな家は、兄弟姉妹で時期をずらしながら日本に行き、合算して建築費を出していた。残りは、農地やトラックの購入等だけではなく、食料販売店や食品加工などの新規商売に充てたりしていた。しかし、大卒者が多く雇われる日系企業やタイのCPの進出工場などに、幹部候補として大手企業に雇われたのが、帰国実習生の成功事例として語られていた。日本で学んだ働き方や日本語などが評価され、低学歴でも就職できたからである。また実家の農業を助ける人も多く、中には日本のメロン栽培農家で働いたので、戻った村で初めて取り組んだ例がある。虫と病気で2年間失敗し中止したという。今後は日本との条件の差を考えながら、親の農業を助けつつ、慎重に次の取り組みを考えていた女性もいた。
面接で多くの応募者が不採用になっているが、彼らは受験料を返してもらい村に戻るものの、多くが次の応募を狙っている。送り出し団体もそれを勧めており、2回目以降の採用の可能性を強調していた。カンボジアに帰国した若者のヒアリングでは、多くが1回ないし2回目の合格で日本に向かっていることを述べていた。それでも兄弟の中で何度も落ちてあきらめた事例もあるようだが、ファーマーズ協同組合は、アグリファーマーズカンボジア設立以前から長く世話になっていた送り出し団体C-Pro社の募集にも応募するように勧めている。同社は主に農業だが、農業以外の職種の募集もしているから、両方の送り出し団体を使いながら、多くが日本行きに成功するように協力している。
兄弟や知り合いの中には、残業が無制限である韓国農業の多い収入を期待した者がいたが、現地で行われる韓国語だけの試験をパスし就職を希望する仕組みとのことである。しかし試験の成績は2年間で無効になるので、この間に採用されずに結局諦める人が多いことも知られているようである。日本のように面接で採用が決まり、その後、半年、合宿所に入り日本語や日本農業の初歩を準備する方が安心だという。なお円安の影響はまだ大きくはなく、いずれもとに戻るのではないかと彼らは期待し、応募が大きく減るようにはなっていない。

3.半年の合宿とその後の展開
アグリファーマーズカンボジアが日本側の応援も得て農村に設置した合宿所は、50名近くの男女を受け入れ(写真)、日本語を集中的に学び、農業の初歩、日本の生活や法律・規則等も知ることになる。特に研修の性格を持つ日本の技能実習を成功裡に進めるため、OJT(仕事を日本人と同じようにしながら研修する)なので日本語の獲得は必須である。仕事の内容・その意義と日本人の指示説明を理解することが必要である。他国のように、現地語を知らずに、出稼ぎに来た者だけで、周年、単純労働を繰り返すのは、実習法違反である。技能実習生は各種の仕事に従事させなければならないので、そのためにも日本語のレベルアップは必要である。
しかし日本語教室で見た訪日直前の日本語クラスは、黒板等に示された会話の例がすべてひらがなで、これを使い、お互いに単語を変えながら大声で発音を繰り返していた。それでも低学歴でしかもわずか半年で習熟する日本語レベルは高くはなく、N1からN5まである日本語能力試験の最低のN5でも、訪日前にパスするのは無理なようである。訪日初期では同郷の職場の先輩の応援を得たり、日本人上司のひらがなを使っての丁寧な説明も必要である。さらにオンラインで自習することにもなる。なお日本語の試験をパスすると手当てを出すところも出てきているようで、日本語講師を呼んで学ばせるところもある。また必要な場合は、監理団体の通訳経由で、電話説明を受けることが出てくる。。
中国語の学習がほとんどない人でもすぐに受け入れる仕組みの台湾とは、日本は全く異なる。最初の受け入れは、両国とも不熟練労働力だが、働きながら日本語と技能の深化を期待するのが日本の技能実習制度であり、その成果の上に生まれたのが19年に設けられた特定技能1号である。近く日本に向かうクラスの実習生からのヒアリングでは、技能実習は1,2号では3年間だが、これにさらに3号の2年が加わることは知っていた。多くがその3~5年で帰国し、結婚や同国での仕事を行うのが、実習生の大半である。しかし特定技能にも関心を寄せる若者もいる。帰国した若者の多くがN4をパスしていたが、それは特定技能を意識していたる。
特定技能1号の人は職場のリーダーが想定され、給与も上がる。農業はまだだが、家族帯同が認められる特定技能2号の建設では1号を1年数か月で資格を取り、この春に2号になった初めての事例が出ている。これはまだあまり知られていない。しかしそうすれば、大卒の技術・人文知識・国際業務のビザで家族を帯同し、一定の年数で常住ビザを申請できるのと同じように、低学歴の若者でも大卒者と同じように日本に長く住むことが可能になる。これはすぐに情報として伝わるであろう。
合宿中の若者も、また最近帰国した若者も、訪日準備に必要な資金は30万円から40万円前後であり、それに相当する額を借り入れており、数か月で返済できることも知っている。資金の大きな部分は半年の合宿と送り出し団体の費用である。日本の場合は、往復の飛行機等は雇用者が負担し、さらには講習のための2週間は研修手当も含め、日本側の負担である。
こうした仕組みの下で、日本を目指す若者が今後も続くとみることができる。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です