6月28日の午後、早大で弦間教授と記者レクを行いました。
なお下記と同じものが早大のホームページ、
あるいは早大「持続型食・農・バイオ研究所」のサイトでも見ることが出来ます。
早稲田大学重点領域研究:持続型食・農・バイオ研究所
(所長・柴田重信理工学術院教授)の研究成果
医療費削減・健康寿命延伸化に貢献する「農業者は長寿で元気」傾向の研究
農業者・住民の健康調査班:同研究所顧問・堀口健治早稲田大学名誉教授
研究所員・弦間正彦社会科学総合学術院教授
(1)これまでの研究でなされてきたこと
農業者は非農業者と比べ全般的に健康で長生きとの印象が国際的にも述べられることが多く、これを踏まえて死亡率や罹患率を職業別に統計で確認する研究が各国で行われている。その中で、60歳代以下の現役世代の労働者を対象に管理者層とブルーカラー層とでは死亡率に有意の差があるとの報告は多く見られるが、農業者のそれが低いか高いかは報告により異なっているのが実状である。さらに、農業に従事するから長生きなのか、長生きだから農業ができるのか、因果関係にまで踏み込み検証した研究事例は、主要な英語学術論文検索サイトで見る限り存在しない。
我々の研究は、死亡率が現役世代の労働者のそれよりはるかに高い60-70歳代以上で、農業者と非農業者のそれに差異があるのか、あるとすればどのような要因によるものかを明らかにしようとした。この点では、60歳以上の農業者と非農業者の死亡率に有意な差があり、高齢農業者に死亡率の低下が見られるとする先行研究がある(川崎賢太郎「農家は長寿か:農業と疾病・健康との関係に関する統計分析」農林水産政策研究所『Primaff Review』No.66,2015,pp.6-7)。明らかにする研究方向は同氏と同じだが、川崎氏のそれは市町村別レベルで集計されたデータからの推計であり、検証できる仮説に限界がある。これに対して、我々の研究は、個人データを収集し、農業者・非農業者に分け分析する方法であり、個別の被験者の健康や長生きの違いをもたらした要因を具体的に検証することを可能にしたものである。
(2)今回の研究で新たに研究しようとし明らかになったこと
2008年施行の後期高齢者医療制度は75歳以上の国民がすべて参加するものだが、制度が把握する一人当たりの平均医療費と国勢調査による75歳以上の就業率を都道府県別に見ると、就業率が高い府県で医療費が少ないという関係が見いだされた。75歳以上の就業先は自営農業従事者が多いことから、農業従事者が多い府県では一人当たり医療費が少ないことが示唆されているといえよう。
まず、この点を具体的に実証するため、早稲田大学と連携の包括地域協定を結ぶ埼玉県本庄市で、75歳以上の農業者リスト(市選挙管理委員会が持つ農業委員選挙人台帳に載っている農業者:農地10a以上の耕作者を市農業委員会が毎年確認)をもとに、埼玉県後期高齢者医療広域連合に農業者とその他の人の医療費の集計作業を依頼した。その結果が下記である。
表 本庄市の後期高齢者:農業者及び農業者以外のそれぞれの医療費
農業者の医療費 農業者以外の医療費
被保険者 総額(百万円) 1人当り(千円) 被保険者 総額(百万円)1人当り(千円)
2010 625 380 607 7872 6815 866
2011 695 421 606 7996 7197 900
2012 774 493 636 8072 7379 914
2013 852 518 608 8171 7691 941
2014 897 655 731 8258 7515 910
参考:2014年後期高齢者医療費の全国平均は1人934千円(厚労省「健康保険の基礎資料」)
注:2014年4月1日に75歳に達している人のリストを基に農業者の14年医療費を集計し、これを除いた上でそれ以外の人の同年の医療費を集計。前年の13年は、14年リストから13年4月時点で75歳未満の人を除いたリストを作成し、農業者、非農業者の医療費を集計。このように14年の後期高齢者リストをもとにしているので、それより前年の被保険者数は、その分、減るので、総額もその年の実際の後期高齢者費用総額とは異なる。
表によれば、本庄市で農業に従事する後期高齢者1人当り医療費は他の後期高齢者のそれの約7割(2010~14年)で、これほどの差があるとは予想していなかった。これは保険料に影響してもよいほどの格差であり、農業従事という日常の仕事や生活に起因する健康状態の結果とみられる(上記の表は本研究所サイトに2016年3月28日公表済み)。
75歳以上の農業従事者のみを対象とする今回の集計は全国初の取り組みであり、医療費でこのように大きな格差を確認した意義は大きい。これほどの医療費格差がある高齢者の特徴をさらに把握するため、大規模なアンケートを本庄市で行い、いくつかの重要な事実を確認したので公表する。
(3)新たな研究手法:アンケートによる農業者・非農業者との差異の確認
後期高齢者の医療費データを使った上記の結果は、働いている健康な農業者と、他方は、それらを除いた、仕事をしていない人を主に病人も含まれる全員なので、農業者以外の人の医療費がそれなりに大きいことは想定されていた。
そのためより正確に農業者と非農業者との差異を明らかにする目的で、アンケートによる調査を2017年2ー3月に実施した。農村部と都市部で基本的に同様のアンケートを各世帯に配布したのである。アンケート項目は、➀家族の年齢・現在の仕事の種類、仕事をすでにやめている人の年齢とそれまでの仕事種類、②平成元年以降に亡くなった家族の死亡時の年齢・亡くなる前の仕事種類と仕事をやめた時の年齢、それまでの従事期間の長さ等である。
農村部は、埼玉ひびきの農協が市内3,879組合員(農家世帯)に2月初め広報誌と共に配布した。2月末締切で、都市部と同じく後納郵便による無記名アンケートであり、その結果、561枚を受け取り、543枚を集計(有効回答率14.0%)した。都市部は、JR本庄駅周辺の用途地域内の二つの町に住む世帯(計1,869)に届くように、3月11日、自治会長の了解の上、学生がポステイングした。ポステイングできた世帯は1,840戸である。3月末締切で308枚受け取り、300枚を集計(有効回答率16.3%)した。なお二つの町にも用途区域とはいえ農協組合員がいるので、農協配布とポステイングとで同一世帯にアンケートが2回配られた恐れがあった。そのため、都市部で家族員に「農業者がいる」ないし「亡くなった家族で農業者がいる」との回答をした世帯の家族構成をチェックし、農村部の回答者の中に同じ回答をしている人がいないか、回答を突き合わせた。その結果、同一世帯からダブっての回答は無いことを確認している。
なおアンケート表や配布・回収方法は匿名性に注意し、早大倫理委員会の「人を対象とする研究・倫理審査の手続き」を経て実施・集計がなされている。
(4)今回の研究で得られた結果及び知見
アンケートの②の項目で、平成元年以降に亡くなった家族員の、それぞれの死亡年齢、亡くなる前や引退前までに従事していた仕事種類とその従事期間、引退年齢、引退後の余命期間等を集計した。仕事種類は、自営農業、雇われての非農業勤務、雇われての農業勤務、農業以外の自営業の4種類の選択記入だが、自営農業以外の3種類間での相違以上に、自営農業グループとそれ以外のグループとの相違が大きかった。そのため自営農業者とそれ以外の人との2グループに分けて比較したが、以下の仮説においてグループ間でいずれも統計的に有意な差があることを確認した。
①自営農業者男女の際立つ寿命の長さであり、それ以外の人との差は男性が特に大きい。
・男性:自営農業者の平均死亡年齢81.5歳、それ以外73.3歳
・女性:自営農業者の平均死亡年齢84.1歳、それ以外82.5歳
②仕事の従事期間の長さでは男女ともに自営農業従事の長いことが特徴的であり、それが健康寿命の延伸化に貢献していると理解できる。
・男性:自営農業者の引退までの就労期間50.8年、それ以外37.5年
・女性:自営農業者の引退までの就労期間49.1年、それ以外28.0年
③自営農業者の引退年齢は男女ともに高齢時期を挙げ、それ以外の人の多くが定年退職の年齢を引退年齢として挙げているのとは異なる。自営農業者は70歳代前半まで健康に仕事に従事していたことが示唆されている。
・男性:74.2歳、それ以外64.3歳
・女性:72.8歳、それ以外60.8歳
④自営農業者の引退後の余命は農業者以外の人と比べ男女ともに短い。
・男性:自営農業者の引退後死亡までの期間7.4年、それ以外9.6歳
・女性:自営農業者の引退後死亡までの期間11.0年、それ以外19.3歳
かくして、農業従事から引退する年齢までを健康寿命とするなら、平均寿命との差が短いのは自営農業従事者の特徴といえる。日常生活に制限があり不健康なことが多いこの期間が短いということは、自営農業者の場合、いわゆる「ピンピンコロリ」の特徴が出ていると指摘できよう。なお亡くなった家族の病因を、老衰、4大原因(ガン、脳卒中、心臓病、肺炎)、その他、の3つの選択から選んでもらっているが、自営農業者であったことと老衰で亡くなったこととの間には統計的に有意な関係が存在しており、4大原因で亡くなったこととの間には有意な関係は存在していないことから、上記の特徴の説明を補強していると考えられる。
さらに、亡くなった家族員の情報以外に、現在の家族員の情報も集計している。20歳以上からの入院経験を、複数、1回、無し、の3選択で聞いているが、65歳以上の自営農業者のグループは、65歳以上の他の人と比べて入院体験の無い比率が統計的に有意な水準で高いことが確認できた。農業従事者以外の被験者には、なにか健康に良いことをおこなっているかどうかを聞いたが、その有無は入院体験の無い比率に違いをもたらさなかった。自営農業者であることと入院体験が無いこととの間に関係があったのとは対照的な結果であった。
(5)研究の波及効果や社会的影響
自営農業者の平均寿命が長いことが明らかになったが、そのことは長期に農業に従事していたことが貢献している。また自営農業から引退する年齢までは健康寿命の年齢に相当すると理解されるので、死亡年齢と健康寿命の差である余命は短い。いわゆるピンピンコロリの特徴が示されている。
もちろん定年退職した人も農業者と同じような種類の活動や同質の活動に従事したり、同じ生活スタイルを維持できたりしたとしたら、より長い平均寿命をはじめ、ピンピンコロリになる可能性があることは指摘できる。実際にそうした人もいるが、全体としては平均寿命が短くまた健康寿命も相対的に短い人が多いことが示されている。
急速に増加する後期高齢者の医療費を削減するためにも、60-70歳代以降の望ましい活動や生活のあり方など、自営農業者のあり方を一つの事例として研究し、広報する必要がある。市民農園等も含まれるが、望ましい活動や生活のあり方を普及するため、行政の支援が大事なことも強調しておきたい。
(6)今後の課題
75歳以上の全員が加入する後期高齢者医療保険制度の医療費データは、健康な人の共通属性やライフスタイルの研究のためにも利用されるべきである。ビッグデータとしてさらに活用したい。
また農業者の実際の仕事や活動のどの部分が長寿に結び付き、どのような生活スタイルが健康維持につながるのかを明らかにするため、医療関係者やスポーツ科学の研究者とともに、農業者からの聞き取り調査や生活の観察等が必要である。この研究は今年度の我々の研究テーマにしている。