被災地の福島県富岡町の稲刈りに行ってきました。

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山形県小国町に域学連携で一緒に行った学生の中で4名、手を挙げて稲刈りに大学のスタッフと一緒に参加。
渡辺組合長のはからいで、最新のコンバインに乗せてもらいました。すこし手刈りしましたが、後の処理が面倒なので、全員このように乗せてもらった次第。最新のコンバインはフロアが上下・左右傾くことに驚きました。
すでに1.2haのうち、もちと他の米の2枚は終わっており、今日の10月2日は残り2枚(60a)のコシヒカリ、反(10a)当たり10俵を超えそうだと。皆うれしそうです。そう、みな農業を復興させたい思い。学生に、穂に着くモミの数の数え方や登熟歩合、千粒重などの単収の要因と一人あたりの米の消費のこととを農道で組合長自ら解説、その真剣な顔に生産者の思いが込められていました。
初めて訪れた学生は目を白黒、しかし周りは雑草だらけの放棄地、除染の土を入れたフレコンの山、そして遠くに第2原発、帰りに被災地の姿そのままの街、富岡駅、そして立ち入り禁止区域まで行って引き返す間、みな無言。除染は遅れ、山は対象外。幽霊のような街を通り過ぎてきました。
上記の生産者の取り組みは、早大環境総合研究センターの岡田上級研究員が『農村と都市をむすぶ』誌9月号に「富岡町での農業(水田)復興」として報告してくれています。

写真の周りはまだ除染がすまずセイダカアワダチそうばかり。仮設住宅の往復でこの地域唯一の稲を管理してきた組合の皆さんに感謝。
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