毎年春と秋学期に開いているこの講座、受講生がエクステンション本部の屋上に設けたコンテナーで稲や野菜等を栽培し、収穫しています。近く、残った収穫物で集まって料理し味わうとのこと。本当にベランダで農園を開けるのでこの講座は人気です。1月以降になれば2015年度の講座が、エクステンションのパンフやインターネットで公開され申し込みを受けることになります。堀口は農協から提供される「もみ」と解説書(全国の小学校がクラスで取り組んでいるものと同じです)を使い、受講生が自宅でバケツ稲に取り組むのを応援しています。
2014年のアーカイブ
12月5日の大隈庭園、被災地で収穫されたモチ米で餅つき、渡辺生産組合長他と一緒に味わいました。
大潟村の松橋農場・ファームナイト、11月29日に国際ビル地下の「にっぽんの・・・」で開催
24日休日でも大学は授業。研究打ち合わせで来て撮った早大政経の建て替え3号館の全体。
11月22日、長野県の北信で3か所の小水力発電を見学。
大町市の町川発電所、平成22年発電を開始した市営発電所(最大出力140kW)。市のクリーンプラントへの電気供給が目的で余剰分は中部電力へ売却しているが、そのため並行している2本の農業用の鉄管は発電には使われていない。発電後は農業用水に合流。
2番目の写真は、同じく農業用水を利用した東電の大町新堰(しんせぎ)発電所(最大出力1000kW)。平成24年5月に発電開始。ペルトン水車だが入った水は4つに分かれてお椀型の羽に吹き付けられているはずだが、冬場の非灌漑期は水量が灌漑期の半分に落ちるので、吹付口のノズルを止め2つのみ使用。これだと水量の変動に柔軟に対応できると理解した。
3枚目は国営中信平二期農業水利事業の一環としての中信平小水力発電所(最大出力499kW)。中信平土地改良区連合の管理で昨年7月から発電。相当の事業費(1割を地元受益者が負担)でがっちりした発電所とその周辺施設の印象が強い。この除塵機もステンレス製なので1億円。売電収入は基金形成等を通じて地域の水利施設の維持管理に大きく貢献している。
11月15日に鴨川自然王国と丸山千枚田を訪問できました。
ふるさと回帰支援センターが関東農政局から受託した6次化の講習会、その講師として会場の自然の王国を訪問。韓国で6次化の取組を大学の仕事として、早稲田の6次化の取組の研究に来られた大学の教授二人等と、最初に丸山千枚田を見学。ライトアップの準備がなされた棚田を駐車場から見学。
さらに登って県内では最高地点にある自然の王国を、初めて訪問。前から来たかったのですが、創始者のご夫妻の子供さん夫婦を中心に田3ha弱、畑も1ha弱を耕され、写真にあるようにイノシシ対策の電気牧柵を今年から設置。周辺は農家が散在しますが、放棄地を主によく復活されていました。お客さんの多いカフェともども、収入を確保されている様子。講習会はそれらの施設の一環にあり、受講生が合宿で勉強の真っ最中。新しい息吹を感じました。
10月末に山梨県北杜市で太陽光発電とエアドームを見ることができました。
圃場整備事業で写真の上のハウス団地が形成されたが、斜面を使っての太陽光発電。これは農業用施設の扱いで電気はハウス関連に使われるので、農地の法面に設置が認められたもの。今は固定買い取りの仕組みに載っていますが。
あとの2枚の写真は、エアドームで著名なグランパが地元農家と組んでの法人です。40棟(人棟は0.6反)と日本で最大です。エアドームも電気を多く使う植物工場と思い込んでいた堀口は間違い。柱がない分、ビニールハウスよりも太陽光の取入れが可能で、中はレタスの水耕栽培。感心したのは、中心に定植(この時は密植)、成長に応じて株間が広がり、25日で円の端に到達して収穫。だから露地の栽培面積の2倍の数のレタス栽培が可能で、収量も2倍。これを周辺農家との契約も入れて、敷地内でカット野菜で出荷。よく考えている。
創発的地域づくり・連携推進センターの「自然エネルギーは地域のものだ」のシンポ
成城石井店でのイナゾーファームのほぼ最後のトマト販売
被災地の福島県富岡町の稲刈りに行ってきました。
山形県小国町に域学連携で一緒に行った学生の中で4名、手を挙げて稲刈りに大学のスタッフと一緒に参加。
渡辺組合長のはからいで、最新のコンバインに乗せてもらいました。すこし手刈りしましたが、後の処理が面倒なので、全員このように乗せてもらった次第。最新のコンバインはフロアが上下・左右傾くことに驚きました。
すでに1.2haのうち、もちと他の米の2枚は終わっており、今日の10月2日は残り2枚(60a)のコシヒカリ、反(10a)当たり10俵を超えそうだと。皆うれしそうです。そう、みな農業を復興させたい思い。学生に、穂に着くモミの数の数え方や登熟歩合、千粒重などの単収の要因と一人あたりの米の消費のこととを農道で組合長自ら解説、その真剣な顔に生産者の思いが込められていました。
初めて訪れた学生は目を白黒、しかし周りは雑草だらけの放棄地、除染の土を入れたフレコンの山、そして遠くに第2原発、帰りに被災地の姿そのままの街、富岡駅、そして立ち入り禁止区域まで行って引き返す間、みな無言。除染は遅れ、山は対象外。幽霊のような街を通り過ぎてきました。
上記の生産者の取り組みは、早大環境総合研究センターの岡田上級研究員が『農村と都市をむすぶ』誌9月号に「富岡町での農業(水田)復興」として報告してくれています。
写真の周りはまだ除染がすまずセイダカアワダチそうばかり。仮設住宅の往復でこの地域唯一の稲を管理してきた組合の皆さんに感謝。